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「デジタル進化と昔の技術」
(2005年3月17日執筆)
 
 ここ15年の間に各業界が様変わりしましたが、淘汰された昔のアナログ技術と現在のコンピューター、そして使う人をいろいろと検証していきたいと思います。情報とデジタル化による革命の波に抜け落ちてしまった物を拾い出し復興出来ればと思います。

 現在の情報産業の革命は、「簡単!便利!」「誰でも!猿でも!」を旗印に、広告印刷物の世界でも、アナログ版下作業、製版作業が無くなり、簡単な年賀状やチラシビラなどは、普通 の人が自作出来るようになりました。撮影もデジカメの出現で、素人でも簡単に写 真を撮り、プリンターで印画紙に刷る事で昔ラボ屋さんに頼んでいた事の真似事が出来るようになりました。

 一見技術の進歩で夢のような世界ですが、コレが引き起こしている物について考えてみませんか?かくいう私も、別 段懐古主義者ではありませんので、高性能のプリンターやデジカメ、携帯電話の恩恵を受けて喜んでいる身ですが、昔職人の世界と呼ばれていた専門領域にコンピューターが進出し、難しい技術を補完したからといって、一般 のサラリーマンが職人さんになれるでしょうか?そこに一つ、大きな問題が生じていると思っています。

 コンピューターは素晴らしいです。常に進歩し、高い技術を誰でも手軽に行えるようにしてくれました。しかし、使う人は進歩しているのでしょうか?コンピューターを存分に使いこなし、従来以上の品質を短時間で制作出来るようになったのでしょうか?昔に比べると素人と玄人の格差は縮まりました。つまりコンピューターの補完で品質の平均化が行われていると言う事です。

 本来ならば、手作業でいろいろやらなくてはいけなかった事が、自動化され、その分他の点へ注力出来るはずなのですが、現状はそのプラスアルファどころか、コンピューターで処理できるレヴェルが最高到達点と思えるような印刷物も世の中に出回りました。(昔から下手なチラシなどは存在していましたが・・)デジタル化で下限は底上げされましたが、逆に上限はコンピューターの限界レヴェルで頭打ちしているという事です。おそらくデジタル世代の不勉強デザイナーやノンプロの人の仕事だと思うのですが、その辺の事を細かく追ってみましょう。

【デジカメ&加工ソフト】  カメラの世界も一変に様変わりしてしまいました。昔は撮影時にポラロイド写 真を撮って仕上がりを確認していたのが、デジカメで撮るとその場で、仕上がり画像が直ぐにわかりますし、編集ソフトでいくらでも編集が可能になりました。晴れの日の背景を雨天にしたり、下膨れの顔を細らせたり、こんな技術まで可能になりました。こういった一面 は、アナログ時代莫大なコストをかけてブラシ加工を行ったり、不可能であきらめていた事を1台のパソコンで可能にさせてしまったデジタル革命の真骨頂だと思います。

 しかし、その反面その技術が一般の人の手元にまで広まった時、昔のカメラ職人の職域から撮影・編集ツールのみが外に出ていってしまいました。アナログの頃は、モノクロームプリントでも「軟調」「硬調」といった焼き方のテストをしてベストを探ったり、撮影時もライティングを細かく動かして調整していた(現在もプロはそうです)のですが、お茶の間カメラマンやお茶の間ラボ屋さんは、そういった知識が皆無のまま、適当に簡単なソフトで撮影し編集した写 真を世間に発信ししまいます。

 この不況下に、手軽なデジカメや画像編集ソフトがあるのに、高額料金のプロカメラマンに全ての写 真を担当して貰えとは言えませんが、露光が足りないまま濁った画像や眠いピントの甘い画像を恥ずかしげも無く堂々と使うのもどうかと思います。デジタルで低コストになり「俺でも撮影出来ちゃうよ」と息巻くのもわかりますが、ドキュメンタリータッチの生産農家のおじさんのシワの刻まれた顔を宣伝に使いたい時、素人撮影の浅いトーンの写 真では重みや深みの滲むイメージの写真になりません。陰影を際だたせた強い写 真との些細な違いなのかもしれませんが、こういった小さな違いの積み重ねが消費者の第一印象を良い物にするか悪い物にするか、しいては売上げに左右します。商品撮影にしても、ピントを何処にあわせ、どこにハイライトを立てて質感表現するか?ということを狙った写 真とただ写し取った写真では差は歴然です。

 もちろん、ノンプロの人が撮った写 真ですから「プロにかなわないのは当たり前だろ」と言う声が聞こえそうですが、上手い下手の事ではありません。意識の問題だと思うのです。私だってプロカメラマンのような撮影など出来ません。ただ、クリエイティブ業界に長くいると、良い写 真と悪い写真の区分けが出来、写真でアピールする場合どの程度のクォリティーが必要か(見る側にとって視覚訴求が重要か、物さえわかればよいのか)わかっています。しかし、お茶の間カメラマンの方は、プロの撮った良い写 真をあまりみていません。だから本当に良い写真(脳裏に好イメージを起こす写 真)を知らないまま、オークション出品用のようなピンの甘い写真でも自身で「良し」としてしまう事に問題があります。

 不況ですから、低コスト、スピード仕上げのデジタルツールを使わない手は無いのですが、「良い写 真とは?」というものを理解した上で使うのと、ただツールに使われてしまうのでは全然違います。状況によってはアナログのブローニーカメラの撮影の方が向いている被写 体もあります。撮影が素人でアンダー気味になっても編集ソフトでしっかりと調子をあわす、沢山のカットアングルを撮って良さそうなのを選んでみる、本などを読んで勉強してみる等、使うツールは高性能でも使い手はずぶの素人なら、足りない知識やテクニックをどこかで補完しなければいけないのです。やはり良い写 真はお金を奮発してプロに撮って貰えばベストですが、その状況に無い場合、自分の撮った写 真と有名ブランドの商品写真や写真集の写真と見比べて何が足りないのか知恵を絞るくらいは必要だと思います。

 これはデジカメに限らず、他の項目にも言える事ですが、デジタルツールを使いこなしているのでなく、低コストだから、簡単だからと必要な知識や選定眼も無いまま機械のボタン一つに頼り切ってしまった結果 、便利になったのに品質が下がった作品が出てきたという逆転現象が起きてしまったのです。面 倒くさがらず、コスト削減ばかりに目を向けず、コストを削った分、割愛されたテクニックや知識を自分が頑張って補完するような意識がないとデジタルツールに頼り切り使われる人間となってしまい、品質も低い物が世間に溢れてしまうと懸念しているのです。ツールを使いこなす事を目指すべきです。

【プリンター】  概ね伝えたい事は、デジカメの項目で書きましたが、プリンターの進化も素晴らしいです。しかし、プリントと従来の色校正などをおこなって刷っていた印刷方式とは、まだ違いがあります。プリンターは未だグラビア印刷はおろか、本紙色校正などで色調を確認し、調整して刷るオフセット印刷にも及んでいないと思います。

 しかし、世間は従来からの印刷の色を出す技術、方式を認識していない(できない)人が多く、高性能カラープリンターとの差がわからないようです。インディアンのような肌感と薄紅ながら健康的で明るい肌感、本当のくっきりした白とピンクがかった白、キリッと締まる黒の中にある微妙な階調と濃く潰れたままの暗部の違い、こういった物が理解されないまま、安価でスピード処理のプリンター印刷に移行されている現状があります。プリンターは使い勝手も良いので否定はしませんが、日本の印刷技術はグラビアでもオフセットでも高い水準にあったのです。トナーでベターッと刷る濃い発色の印刷物をみて「最高値」としないで欲しいです。「お金と手間をかければ、もっと良い物が出来るのだが、仕事の規模を考えたらプリンターで賄うべきだ」という風に高水準の印刷もわかって貰った上でプリンターを選んで貰わなければ、歴史ある日本の印刷技術や慣習は崩壊し、機種によって違う発色をするプリンター印刷が日本の水準となってしまうでしょう。

【デザインツール】  デザインツールも15年前と様変わりしました。そして沢山の人のパソコンにAdobe IllustratorやPhotoshopがインストールされるようになりました。これは良い事だと思います。しかし、ワードやエクセルとは違うソフトなので、使い手がワード感覚で組版してチラシやパンフレットを作っていたら、非常に勿体ないですし、質の低下を発信していく事になるのです。

 従来は、デザインレイアウトシート→写植打ち込み→版下作成→スキャニング→製版作業と複数のパートで各々の専門家が受け持っていた工程がパソコン一台で出来てしまうような時代になりました。素晴らしい進化です・・・。ただし、本当に複数の専門家の仕事を1台のパソコンに集約出来ていたらの話です。

 デザインレイアウトに関しては、手作業で行っていた頃、紙を切り貼りしたポスターを何枚も壁に貼って眺めながらチェックしました。新聞の大きな段広告や大判チラシも原寸サイズを距離を離してじっくりと眺め微妙なバランスまで調整していました。しかし、モニタ画面 でデザインが出来るようになってから、距離の近い小さな画面でデザインを終わらす人も出てきました。プリントを出すのが面 倒だったり、画面でちょこちょことさわれてしまうからなのでしょうが、これでは昔のように壁に貼ってバランスを検討していた目が養われなくなってしまいます。

 特に大きいサイズの誌面 は小さな画面でみるのと大きな原寸で見るのでは違いがでてきます。便利さにかまけてパソコン内で全てやってしまおうとしては、感覚が養われなくなってしまいます。機械が自動的に測定する中心点と人間の見た目の中心点は必ずしも一致しない時もあるのです。

 写 植や版下もソフトで簡単に文字を入れ込めるようになり大変便利になりました。しかし昔の組版オペレーターやデザイナーは文字を一文字一文字ちょん切って貼り付けたり印字したりしていました。とても手間暇かかる作業でしたが、一文字ずつ拾う事で文字のタイプフェイス、つまり横長や縦長、丸っぽさ、角っぽさ、ボリュームやバランスを自然に覚えていきました。文字の形を知ると言う事は、形と形を並べたりつなげたりする上で、どの配分が美しく見られるのか覚えていきました。ソフトにも自動文字詰め調整機能がありますが、皮肉にもこの自動機能が日本語の「漢字対仮名」の持つリズム感を硬質で一片の狂いもない正確無比の一本調子にしてしまったのです。昭和の時代に初版された文庫と最近の文庫を見比べてみればわかると思いますが、印刷のかすれなどは度外視しても、まず使用している書体の違いが目に付くと思います。しかも漢字が多い部分は仮名を開き気味にして窮屈感を調整したり、仮名が多い場合は詰めたりと変化があるとおもいます。現在の印刷物は、これを全てソフトが自動設定で行いますから、どの印刷物でも均一で全く変化のない一定リズムの組みになってしまっています。

  さて、長々講釈をたれてきましたが、殆ど自分の自戒も込めているのです。自戒だけでなく、アナログを知っている者として「便利な物は手放せないが、これで本当によかったのか?」という疑問を投げかけてみました。コンピューターの進化で、垣根が無くなり、会社の庶務の兄ちゃん姉ちゃんでも、クリエイティブもどきをして、自分の作った物を世の中に流せるようになりました。インターネットに関しては世界配信できます。とても便利で普通 の人でも扱えるようになったのは賞賛すべき技術の進化なのでしょうが、職人の伝統ノウハウや知恵、知識、養われた感覚まではコンピューターソフトで補完できていないのです。

  いつの時代も「本当に良い物」「本当に質の高い物」というのは生き抜いていきますから、無くさないように心がけて行かなければいけないと思いつつ、時代と共に無くなっていくのも世の常なのかなとも感じています。コンピューターに使われる人間にならず、コンピューターは手づくりの温もりが無く数値計算で再現する 一つの道具に過ぎないので、人の手の作業を補完出来るようになりたいものですね。次はそういった時代になっていくと思いますよ。


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