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「センスって何?」
あの人のセンスを見抜くには?

(2004年9月21日執筆)
 
 今回は『センスって何だろう?』という、非常に捉えにくい物に挑戦して分析してみます。流石に、実体のない物なので、私なりの解釈をしてみたいと思います。

 『センスがデザインやコピーライティングに必要か否か?』こういった議論よくありますし、その実体のよくわからない『センス』の一言でデザインなどを片づけてしまってよいのか?という考え方も多く見受けられます。「自分は、センスに自身が無くて・・・」という人は、その道のプロに任せてしまえばいいのですが、「あの人はセンスが良いの?悪いの?」仕上がりまで、ハラハラドキドキ、自分の考えていた物と180度違ってビックリというケースもあるでしょう。

 センスとは『感覚、感じ、勘』といった意味合いです。非常にあいまいな物ですね。では、『デザインやコピーは、その曖昧なセンスで成り立っているのか?』というと、広告や出版物などでは、現実はセンスだけで成り立っていないとなります。前号までで詳しく様々な要素を解説しましたが、マーケティング企画やメッセージの組み立て、ターゲットの選定とそれに会わせた伝達方法と、非常に『論理的な考え』の上に成り立っている事の方が多いです。

 では、『デザインなんてセンスは全く無用だね!センスが悪くても出来るね!』という事に関しては、同意する人は少ないのではないでしょうか?実際、デザインを経験されていない人の制作した印刷物やホームページなども見かけますが「いまいちパッとしない配色やレイアウト、歯切れの悪い文章」となってしまっている事も否めません。

 スポーツや音楽と同じく美的感覚、文才などは、どうも特殊技能と受け止められ「私には、生まれ持っての能力が無い」とか「あの人は、もともと素質があって選ばれた人だから・・・」と、半分あきらめで立ち入れない領域のように考える人もいます。

 でも、本当に選ばれた者のみの世界で、それは先天的な素質が無いと無理なんでしょうか?決してそんな事はありません。芸大やデザイン専門学校でなく一般 の学科出身でも優秀なデザイナーはいますし、デザインの勉強、美術の勉強を全く知らなくても造形バランスの感覚の良い人や配色の感覚の良い人はいます。(大概そういった人は、美術的な事が好きな人だったりしますが。)芸大生でも技術はあっても発想が平凡な人や、感覚的に鋭さが全くなかった人も実際いました。そういう人も芸大に通 って、修練を積んでプロになっていくぐらいですから、普通 の人でも十分センスの鋭い人になれる可能性があります。

 鋭い人のセンスは日々成長していく物と考えた方が良いかも知れません。鈍い人はセンスの成長が止まっていると考えるべきです。多くの画家は若年期と成熟した頃でセンスが違っています。それは画風やタッチ、色づかいなど様々な箇所に表れます。 だから、その『センス』って一体何なの?ということで、私はこう考えています。

【感受性の高さ×衝撃の深さ】×分析能力

上の三つの項目から成り立つと思います。つまり敏感か鈍感か?強く感動するか、なんとなく見過ごすか?分析出来るか否か?この辺が、その人の(センス=感覚・感性)を養っていく上での要素になるでしょう。

 (感じる心=感受性)が育っていないと、自分が美しい、面 白い、かっこいい等感じる事が少なく、故に自分にとって何がかっこよく、何が美しいのかがハッキリした像で見えてこないでしょう。また、感動の衝撃度合いの大小で記憶にインプットされる脳の引き出しの場所が違ってきますから、より深い感動を覚えれば、その人の感性はその感動した出来事に影響されていくでしょう。そして、大切なのが、それを「なぜ、かっこいいのか?なぜ、美しいのか?」と自分で分析解釈していく力が備わっているかどうかです。

 簡単な例えにしてみましょう。ユニフォームを作るとします。赤色が好きだとして『赤』を使った配色を考える時、折り紙の12色の赤を思い浮かべる人もいれば、艶やかに光るスポーツカーのボンネットの赤を思い起こす人、王室に敷かれた絨毯を思い起こす人、トマトや唐辛子を思い起こす人、山の紅葉を思い起こす人と様々です。山の紅葉の美しさに見出された人は、赤や黄色などがこまごまと散りばめられ、枯れた渋い茶色と鮮やかな赤や黄が折り重なり混ざり合うような配色が好きで、あでやかな赤色と黄色が散りばめられたデザインを選びました。

 赤いスポーツカーが好きな人は、テカテカに光る真っ赤なユニフォームにシートやタイヤの色の黒いラインを入れました。王室の絨毯を思い起こした人は、ワインレッドのような深みのある赤と金の刺繍模様を施したものを選びました。

 センスの善し悪しと配色の上手下手は実は別問題で、配色というのは理論で証明出来る物です。しかし、配色には数学のように答えが一つしか無いわけでなく、上の例のように、赤を使っても、「赤や黄を散りばめる人」「テカテカの赤に黒いラインを入れる人」「ワインレッドに金の刺繍をする人」と何種類もの答えが出てきます。

 そして、「ワインレッド」など深みのある色が好きな人からみれば、艶やかな赤色や賑やかな色彩 は「あんな派手な配色は、どういうセンスをしているんだ?」と疑問を持ちます。その逆も然りですが、この場合どちらがセンスが良いとも正しいとも言いにくい状況です。センスは人それぞれ、好みもあるという事ですから

 では、折り紙の赤色を単純に思い浮かべてしまった人はどうでしょう?上の3人は、頭に思い浮かべた像に既に配色された物がありました。しかし単純な「折り紙の赤」を思い浮かべてしまった人は、これから自分で色合わせをしていかなくてはなりません。「この色かな?あの色かな?」と行き当たりばったりでやっていきますので、王室やスポーツカーといった醸し出すイメージも計画出来ません。偶然調和の取れた良い配色を見つける事もありますが、いまひとつ調和しないまま終わらしてしまう場合もあります。

 ここで、色が上手く調和しないまま失敗してしまった人は、『自分には色のセンスが無い』と落ち込むかも知れませんが、センスという曖昧で特殊能力のような言葉であらわすより、『自分はかっこいい、きれいと感じる配色を良く知らない、又は知ろうとしていなかった』とした方が良いのかも知れません。結局のところは、(情報を得て、それを記憶し、自分で再現してみる)という事の繰り返しになりますので、お洒落なファッション誌を沢山読む、インテリアコーディネートされたモデルルームに足を運ぶ、色彩 学を学ぶ等どれでも良いですが、情報を沢山入れていかない事には、行き当たりばったりになってしまいます。

 そして、広告や出版物などの場合、「多くの人に対して、わかりやすく伝わる感覚(イメージ)」を求められます。だからクリエイティブに携わる人達は、あらゆるジャンルで常に良い情報を探してアンテナをはっています。「あの映画監督の使う青色はこうだった」とか「あの街の夕焼けはこんな色だった」と赤でも青でも黒でも、単純な一色でなく無限に拡がりながら脳のデータベースに記憶されていくわけですね。その蓄積データベースが、結局のところセンスの源泉だったりします。

 人は「好き、嫌い」や「合っている、不似合い」などで判断していきますので、多くの人が好む物、その上で醸し出すイメージが、事業や社風・方針とマッチングしている物を選べる人が、広告の上で必要なセンスを持っているということになります。「好き・嫌い」なんて、みんな自分勝手じゃないかと思うかも知れませんが、国民性や男女の性差、年齢などで傾向が似通 ってくるのです。そういった情報を熟知して、表現に反映しているのがプロの仕事ですね。

 そういう意味で、『あの人は、なんだかセンスよさそうだからデザインをお願いした』というのは、当たり外れがあって当然です。若い人で流行りの音楽に関する知識が深くて、無機質でかっこいいイメージのジャケットデザインを作っていたから、『では当店の宝石を掲載したパンフレットを作ってもらおう』と期待しても、高級感、上品さのある物にはならない可能性もあるわけです。制作した人が、宝石に関するイメージ情報を養っていなければ、そのまま音楽業界風のものになってしまうかも知れないと言う事です。

 当たり外れというのは、自分が求める物に対する情報を、依頼する人がどれくらい持っているかに影響してきます。自分のセンスを高めるならストックファイルなどで沢山の資料を集めていくのが、昔からの手法として存在しています。


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